ゴ~ン
自分は講師と云う柄ではありませんが。。。。
人は親の背中を見て育つと云います。
若いころは「そうだよね。」ぐらいにしか思いませんでしたが、
我々ぐらいこの世に居ると、それを身をもって知ることになります。
宮本武蔵や坂井三郎といった古の武人は、20代の頃に活躍し、
その後数十年経ってから当時を振り返り、「五輪書」や「大空のサムライ」と云った書物を残しました。(なので自分もそうしたいと思います。)
※感情を抜きにして自分と同じ種族を選ぶべし。
若いうちは皆、それなりに美男美女で、元気で、情熱があって、多少のギャップなんてどうにかなると思います。それは初めはお互いを見ているからです。お互いを見ているから相思相愛なのです。ところが数年経過すると、お互いだけを見ている訳にはいかなくなります。同じ道、進むべき方向、同じ進路に視線を向けるべき時がやってきます。それは悲しむ事ではありません。同じ目標に向かって歩いて行けるのはハッピーな事です。自然とそれに移行出来ればそれでいいのです。そこで問題なのが※というわけです。(詳しく掘り下げて云ってみましょう。)
※ぽっちゃりさんにはぽっちゃりさん、ほそっちょさんにはほそっちょさん。
ええ、生物学的行動学的に違いますから。
※部屋着と云う概念
ちなみに筆者には部屋着という概念(および衣類)はありません。
いなかのおばちゃんである筆者の母親にも部屋着という概念はありません。
普段着とパジャマ(寝巻)という概念はあっても、部屋着と云う概念はないのです。
いなかのおばちゃんは家の外で、草木を弄る事が趣味ですからね。
郵便屋さんが来たら「はずかしわ~。」ってなるわけです。
部屋着(スウェット、トレーナー、ジャージ、の上下?)に対する考え方と似たような事で、
素材が化繊か、襟がついてるか、という違いもあると思います。
要はノビノビ素材か、ピシッとした素材かという問題です。
ウエストがゴムのズボン、ノビノビ素材のジーンズ、僕には論外です。
食品を買うときにも、裏の原材料を見てるか・・・。
美学、哲学の違いですね。
※ガサツじゃダメ
ドアから手を離すな(風でドアが煽られて隣の車にゴン☆彡となりかねない)
サイドシル蹴るな。
早めにウインカー出せ。
食い物の皿の上でパッケージを開封するな。(破片入る)
そうだ肝心な事を忘れていた。
※シートベルト伸びたまま放り投げて、そのままドアを閉めてピラーとドアにバコッ☆彡
=即デート中止、撤収せよ!
※二十歳までは親からもらった顔、それ以降は自分が造った顔
生き方、暮らしぶり、内面が顔に出る。
若いうちは、遺伝、才能のある人、努力家が優位だが、
我々ぐらいの年月この世に居ると、健康的な生活を続けてきた奴が優位になる。(30歳過ぎてから足がでかくなり、足が速くなり、身長も伸びてた俺って一体。。)
※追記
以上を踏まえて、これまでそういうもんかな~とは思っていたけれど、実感はしていなかった。
だけどそういうことだったのねって事は、
※相手は親を見て選べ
なるほどなあ。関連するけれど、
※子供は親の背中を見て育つ
車の運転なんか特に似る。
物心ついたときから、加減速のG、左右の目視確認の視線の走らせ方、
それが当たり前になる。基準になる。
自分は、「相手に迷惑かけるな。」「あんた前の車にくっつき過ぎよ!」
と親に言われ、30過ぎたらそれが実感として解るようになりました。
信号待ちでは車体一個分以上車間を開けて止まるべし。
歳をとったら更に似る。
※車の運転を見ればその人の人格が手に取るようにわかる。
※接種済・非接種
近頃じゃこれが厄介な問題として浮上してきたのかもしれない。