Authan's tactical LABO 秋田の狐の部屋  あうあうあ論文 

見ちゃえ・聞いちゃえ・話しちゃえ。 著者(管理人)がこれは見逃してはならんと思ったことを記録します。 同じ記事でも文末に追加することがあります。 ↓ボヤッキー始めました。 https://twitter.com/auaua_ronbun スパムコメント張り付けは無駄です。 削除しております。

前回の選挙では、不正・八百長が行われたというような話がネット上で話題となっております。
有権者が投票所に押し寄せて、行列が続いているにもかかわらず、「投票率が低い」とメディアは報道していました。
 開票時間も繰り上げられる所が多数あり、まだわずか数%しか開票していないのに、”当確”が報じられるなどいかがわしい動きがありました。
また、「併設されて同時に投票する「裁判官の罷免」の票数と、党・候補者の票数に不自然な差がある」
ボールペンで記入しようとしたら、「無効になります」と脅されたという話も有りました。
そこで、
投票に行くには、
☆書き換えられる可能性のある鉛筆で投票しないよう、ボールペン・油性ペンなどを持っていく。
☆「
八百長禁止!不正選挙のないように願います」「投票時間の繰り上げは不正の疑惑」などと書かれたカードを持参し、会場の職員に見せる。
☆裁判官の罷免投票について、あらかじめ下調べをしておき、不条理な判決を出した裁判官を見逃さない。
 (↑社会の出来事に関心のない住民ばかりの地域なら不正が行われる可能性が高い…のかもしれない。
おかしな判決や法律の制定を許さない市民の目を示さねばなりますまい。)

さらに不正選挙を防ぐには。
出口調査してる報道陣に(放送局にも根回し手回しが効いており、不都合な真実は云えないであろう。)なので一般市民が、
「本当の結果教えて頂戴…放送局と投票所は秘密にします。連絡先…におくってね。」のお手紙を渡す。
しかし個人の考えを知られたくない人は出口調査に無回答であるかもしれないし、
やはりメディアも信用出来ないかもしれない。

そうなるとやはりしがらみのない一般市民の手でもって、
出口で確認投票(答え合わせ投票)を行う。これしかないでしょう。
(^O^)/「不正選挙防止のため確認投票をお願いします。我々はボランティアで行動しています。」と呼びかける。
  紙に記入や、口頭で聞きだすのはプライバシー的にどん引きされそうなので、あらかじめ中身を見えなくしたペットボトルを候補者の数用意し、党・名前を記入しておいて、小さい玉や紙切れを入れて投票してもらう。
「入れる瞬間私は後ろを向いてますので。」といえば気軽に応じてもらえそうだと思います。

↓しばらく前に何かで読んで、ずっと頭の隅にあった話です。
投稿者のおじいさんが、戦時中は中国大陸に出征していたそうです。

「四度目は無い」

戦時中、日本の敗色が濃くなってきた頃、
兵隊は中国の山道を南下しているところでした。
辺りも暗くなってきたので、とある村で一泊することになりました。
兵隊の下級クラスの人間は、馬小屋で寝ることになりました。
そんな中、真夜中に馬小屋にいた馬が騒ぎ出しました。
灯りを付けてみると、そこには得体の知れない生き物がいました。
木の枝にぶら下がった猿・・・かと思いきや、顔は老婆でした。
銃を売ってみるものの、当たる気配はありません。
騒ぎに気付いた兵の総司令官がやって来て、
その生き物を見て驚きながらも、村人の通訳を介し尋ねました。
「お前は何者か?何か伝えたいことがあって来たのか?」
すると生き物は答えました。
「お前らの国は滅びる。だが、3度の再生を果たすだろう。」
「それは吉予言か?」
咄嗟に総司令官が聞くと、生き物は
「そうではないとも言えぬが、そうだとも言えぬ。」と、答えました。
「再生するのであろう?」
総司令官が疑問をぶつけると、
生き物は「4度目は無い。」と言って立ち去っていきました。
「追って捕らえますか?」と下等兵が聞きましたが、
「あれは常世の者ではない。放っておけ。」と言って、
総司令官は眠りに就きました。
戦後、日本は急成長を果たしましたが、
これが1度目の再生だとしたら、残りは2回という事になりますね。

↑何が何回目の事を言ってるんだろうか。
4度目ってのはまさかTPPか?


2013.4/12
ふと思い出したんだが、外国人のジョークだったと思うが、
「第4次世界大戦は石を投げたり、木の棒が武器だって。第3次世界大戦で文明が消滅した後だから。」
なんだか似た話だ・・・

 
 
名古屋市長が南京市の訪問団と会談した際、以下引用
「「南京事件(1937)」について、「一般的な戦闘行為が行われたことは否定できず、これに関しては遺憾だが、いわゆる『南京事件』といわれる一般市民への虐殺行為はなかった」と発言、物議をかもしていた。討論会の場ではこの問題について再度、来場者から尋ねられ、「当時の発言は撤回しない」と発言。
「日本人として、言うべきことは言わなければならない。何でもかんでも『ごめんなさい』では何にもならない」とも続けた。 」
引用終わり。
で~ですね、私の手元には
「ワック出版・歴史通・1月号別冊・2012january.零戦と坂井三郎」 という本があるんですね。
この中に何やら書かれています。
「坂井三郎・最後のロングインタビュー」より。以下本編坂井氏の記述を青文字。


「慰安婦・南京のウソ」
「日本軍の虐殺行為を撮影したというアメリカのドキュメンタリー映画がありましたが、あれ は日本軍ではない、共産軍です。見落としている人が多いようですが、我々が見ればすぐわかる。日本軍、蒋介石軍、共産軍でそれぞれ脚絆の巻き方、靴が違う んです。私が見た映画で日本軍とされていたのは、すべて脚絆の巻き方が共産軍のものだった。確かに軍服と軍帽は日本軍のものでしたが、どんなに欺いてみせ ようとしても、ちょっとしたところで馬脚を現してしまう。
 (ちょっと中断、続いて最近メディアが”従軍従軍”と騒ぎ立ててた慰安婦問題の話へと続きます。)
 要するに慰安婦問題も南京虐殺も、日本が経済大国になってカネができてから韓国、中国が言い出したことです。日本が食うに困るような国だったらそんなことは言わない。カネ狙いの捏造ですよ。だから理路整然と対抗しなくてはいけない。弁明するんじゃなくて事実を言うんです。
  そんなことよりもラバウルには韓国人が三千名、台湾人と高砂族が合わせて二千名、計五千名の私設部隊がありました。その部隊の長が、このあいだもここを訪 ねて来られましたが。あの人たちは天皇の軍隊、皇軍としてラバウルまで行き、大変な働きをしたんです。だから当然、退職金代わりに恩給を支払うべきです。 負けて国籍が変わったからって払わないというのは日本の道義に反していますよ。
 謝罪だ、補償だって、払ってはならないところに言いなりに払って、皇軍として命がけで働いた人たちに何もしない。これはどう考えてもおかしいんじゃありませんか。」 

↑↓便宜上本編とは順序が逆だったりしますが。↑↓

「日本はアメリカの寄生虫」
         中略途中から・・・・・
 「戦後の日本の物質的な繁栄はアメリカに寄生してきたおかげです。日本人の勤勉さがどうとか言いますが、これだけ繁栄することができたのは幸運の一言につきます。
  終戦時ソ連はもう北海道に上陸し始めていました。あのままいったら日本は分割されて国はなくなっていた。それを助けてくれた方がいらっしゃる。蒋介石総統 とトルーマン大統領です。「これほど賢い民族を共産主義に渡してはならない。わが陣営につければこれほど頼りになる民族はない」と、四カ国分割政策に 「ノー」と言ってくれた。これが幸運の始まりです。連合軍といいながら、アメリカ一国だけが占領した。その直後に勃発した朝鮮戦争の特需にわいた日本は経済復興の道を歩み始め、六十年代から七十年代にかけてはベトナム戦争の大軍需基地として外貨をたらふく貯め込んだ。
 韓国が経済的に苦しかったとき、朴正煕大統領が日本に五十億ドルの援助を申し入れた。大統領はこう言ったそうです「朝鮮戦争で我々韓国人が血を流して戦ったから今の日本がある。五十億くらいなんだ」と。
 それはそうなんです。ベトナムでも一番勇ましかったのは韓国兵だった戦死者が多かったのも韓国軍だ。日本は戦後、血も流さず、何もせずひたすら金儲けをしていた。」

 アメリカのフォード大統領が日本と韓国を訪問したとき、日本には儀礼的に数日いただけでしたが、韓国に行った時はタラップを降りる途中で立ち止まり、出迎えた韓国の国民に向かってこう言った。「韓国の兄弟よ、私はここへ再び帰ってきた」。なんという親しみのこもった言葉ですか。フォードも朝鮮戦争で戦ったからです。いま、日米と韓米、どちらが親しい関係にあると思うかと聞くとほとんどの日本人が「日米」と答えます。そうじゃない。本当に仲がいいのは「韓米」です。一緒に戦ったんですから。・・・・・・・・・・。
(↑なぜ韓国が朝鮮戦争、さらにベトナム戦争まで参戦したのか。そう考えたらただ事ではない。
 TPPだ、憲法改正だ、集団的自衛権だ、なんて言ってるうちに、自衛隊がアメリカの傭兵にされないかが心配なのである。北と韓国がいがみ合い、アメリカに喧嘩を売ってきた。アメリカが日本に「俺達トモダチだよな?」なんてことは勘弁願いたい。
 それと坂井氏が、時の大統領トルーマンのおかげとは言ってますが、戦後のプロパガンダがきつかったからではないようです。以下のような記述もあります。

「日本はアジア解放に貢献」
 …中略
 私が日本人として非常におかしいと思うのは、広島の原爆慰霊碑です。あそこに何と刻まれているか。
 「安らかに眠ってください。過ちは繰り返しませぬから。」
 これで眠れますか、二十何万の人が。こういう間違った戦争を始めたのは誰なんだ、と。
その者は罰したぞと、そう言うことができて初めて、以て瞑すべしということになるんじゃありませんか?

 (先日ニュースで「原爆慰霊碑に缶スプレーで落書きをしたとして男が逮捕された。」と放送していたのだが、
「過ちは繰り返しませぬから」のところを赤い塗料で塗りつぶしてあった。) 

「もう女どころじゃない」
  「学校で本当の事を教えればいいんです。たとえば「従軍慰安婦」なんて言葉は、当時はなかった。第一、戦地に女なんかいませんよ。一人も見たことがない。 それに、これは重要なことなんですが、一日行軍したらもう女どころじゃありません。三八式歩兵銃を担いで、背嚢しょって、前に四十発、後ろに八十発の弾丸下げて手榴弾持って。行軍終えて荷物を下ろしたときには腰はこすれてそれこそ血だらけです。もう性欲どころか食欲もない。バタングーですよ。そんな状態で 女引き連れて行けますか。まして道々片っ端から強姦しながらなんて冗談じゃない。
 たしかに、戦闘の行われていない後方基地に慰安婦はいました。 けれど、これはどこでもそうでしたが、慰安婦は司令官の給料の何倍ももらっていた。バラバラにならないように軍票を積み上げてヒモでしばって、その一束が ちょうどレンガくらいの大きさになるので「レンガ」と言っていましたが、それを四つも五つも下げていたんです。それに自由もあった。今日は接客したくない と言えば、飯だけ食ってブラブラしていてもよかった。
 「南京大虐殺」だってそうです。南京が陥落したら陸軍のほとんどはすぐに出て行ってしまった。残ったのは千五百人くらいですよ。千五百人 でどうやって二十万人、三十万人を殺すんですか。穴を掘るだけだって大変ですよ。そうかといって川へながそうものなら、たくさんの遺体が上海までプカリプ カリ浮いていく。世界中の報道班が来ているんですよ。大虐殺があったら気づかないはずがない。東京裁判まで、そんな話はまったく出ていませんでした。」

(↑なるほどな~。)

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